維新発祥の地・山口県下関市に生を受けた私は累代の社家ではありませんが、父は約30年に亘り亀山八幡宮権禰宜として奉職していました。県立下関西高校を経て、平成17年に早大に入学。在学中は自民党学生部で委員長を務め、TOKYO自民党政経塾を修了。また、林芳正参議院議員事務所でインターンをし、政治の現場を学びました。
大学卒業後はNHK記者を経て、皇學館大学神道学専攻科で神職資格を取得し、神社本廳に入庁。平成25年には、20年に一度の伊勢神宮式年遷宮に奉仕させて頂く栄に浴しました。そして平成27年4月、自民党公認候補として大阪府議会議員選挙に挑戦し、19,081票(47.3%)を賜わるも次点にて落選。現在は東京都神社庁に奉職しつつ、捲土重来を期して活動を続けております。
新しい「令和」の御代を迎え、日本の歴史や伝統・文化の核である神道を次の世代にどうつないでいくかを神道稲門会の皆様と共に考えてまいりたいと思っております。引き続き皆様のご指導ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
応永年間(1400年頃)創建と伝わる、根村(現 板橋区双葉町)氷川神社に生を受ける。須佐神社(備後三社の1つ)の社家である近藤薫明氏が上京して作った私立城北高校卒業後、早大入学。神仏分離研究の第一人者である、村田安穂教授の指導を受ける。早大在学時に神職養成講習会にて直階・正階を取得し、大学生より神職として活動している。卒業後は國學院大學大学院神道学専攻に入学、専攻課程Ⅱ類にて明階を取得。並行して、氏子区域内にある帝京高校にて教鞭を取っている。現在、東京都教育関係神職協議会事務局長・板橋神道青年会監事とともに、早稲田大学教師教育研究所運営委員を務めています。
「東西古今の文化のうしほ 一つに渦巻く大東国」の中核となる神道文化を次世代に継承するため、早大卒らしくアクティブに皆さんと一緒に活動していきたいと思います。これからもご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。
1) 奉務神社紹介
創建年代は不詳であるが、社伝によると応永年間(室町幕府3代将軍義満の頃)とされている。主祭神は素戔嗚命、相殿に倉稲魂命を祭る。江戸期には江戸四宿の1つ板橋上宿と根村の産土神として崇敬篤く、根村松山氷川大明神の社名も伝えられている。3年毎の本祭には宮神輿も渡御し、賑わいをみせている。宮神輿は元禄年間の製作であり、都内で戦災を逃れた神輿は珍しい。日本一の交通量を誇る環状七号線が真裏を通っているが、鎮守の森により境内では車の騒音は聞こえず、静かに参拝できる。100m以上の直線が続く参道も、23区内有数である。
2) 早稲田大学の思い出と神職の道にすすんだ転換期のこと
早稲田大学への進学は「天命」だった。曽祖父は東京専門学校の卒業生、祖父は早稲田鶴巻町出身、父は願い叶わずであったが、そのリベンジを自分が果たした。
教育学部の第一印象は、「ロケ地」であった。長野県諏訪大社に奉職していた父が見ていたテレビドラマに、同県松本市を舞台とした「白線流し」があった。その女性主人公が教育学部に入学し16号館を眺めるシーンを、高校時代に父と見た記憶を鮮明に覚えている。今思えば、それが全ての始まりだったかもしれない。
祖父も父も社会科教員免許を取得し高校などで教鞭を取っていたため、教員免許取得に何の抵抗感も無かった。しかし、親世代と違い「社会科」では中学しか教えられないので、「地歴」「公民」の免許も取得する必要があった。卒業単位+αの授業を5~7限に履修しなければならなかった。そのためバイトやサークル活動が十分に出来ず、早稲田の本当の楽しさを享受できたかと言われると、やや疑念は残る。
だが、同じように教員免許取得を志す素晴らしい友人を得るとともに、早慶戦の応援に神宮球場へ行き、優勝パレードで校歌・紺碧の空を声が枯れるほど歌い美酒に酔いしれたのは、何事にも替え難い青春の思い出である。また、学生街グルメを十分に堪能した。今は無き「珍味」「エルム」「ほづみ」「稲穂」「レッドピーマン」唯一無二の味を楽しめる時代だった。
社家の長男であることから、教員免許以上に神職資格取得は「義務」であった。そのため、大学1年で直階(このとき渡辺健介会員と出会う)、大学4年で正階を取得し(このとき染谷一夫・須田智博会員と出会う)宮司となる資格を得て、禰宜にもなった。これで生まれながらに運命付けられた「基本的な人生の線路」は引かれた。しかし、祖父も父も取得していた明階(取得可能な最高階位)をどうしても取得したかった。折しも、団塊の世代が定年退職間近という就職難の時代で、教員にせよ神職にせよ正規雇用は望めなかった。ゼミの村田安穂教授に相談し(このときゼミの先輩に間島誉史秀会員がいる事を知る)、國學院大學大学院文学研究科神道学専攻に進学、専攻課程Ⅱ類を履修し(このとき岡市仁志幹事と出会う)明階を取得した。そののち、板橋区の神職の一員として活動するが、公私ともに指導してくれたのは、鳥海普意会員(板橋区支部長)であり、年に一度はさかえ通りの「鳥やす」で会合を開いている。
改めて振り返ると、社家である以上、「転換期」らしいものは無かった。そのため、本原稿も最初はお断りをしていた。しかし、不思議なことに神職の道を歩む先に、必ず神道稲門会の先輩方がいて、様々なアドバイスを頂くとともに、早稲田の思い出を語り合えていた。
これが「答え」なのかもしれない。
鈴木斎彦(神道稲門会幹事)ほか著『新しい高校教科書に学ぶ大人の教養 地理総合』を刊行
「地理総合」は2022年4月より導入された新しい高校教科の新科目です。約半世紀ぶりに地理が必修となりましたが、従来の地名や特産品を暗記する科目ではなく、「地理情報システム(GIS)」と「防災」を大きな柱として学ぶ科目に変わりました。本書は、新しい高校教科書の内容に興味のある一般の社会人や先生、生徒向けに「地理総合」の内容をわかりやすく解説した教科書です。災害の仕組みや防災・減災についてじっくり学びましょう!〈税込1650円、秀和システム刊〉
第1章 様々な地図を知ろう
第2章 日本の自然災害とその対策を知ろう
第3章 日本と世界のつながりを知ろう
第4章 日本と世界の違いを知ろう
第5章 各地域の特徴を知ろう
第6章 国際協力を考えよう
社会科学部2008年、院商学研究科2015年卒の落合章浩と申します。
この度は、神道稲門会に入会させていただく栄誉を賜り、深く御礼申し上げます。私自身は神道との直接的な関わりはありませんが、振返れば幼少期から多くの接点がありました。
幼少期から続けるボーイスカウト運動においては、特に30歳前後の6年間、小さい子どもたちを率いる部隊長であった際、日本人と宗教という課程を身近なものに感じてもらうために、神社をハイキングコースにしたり、神社での学びをオリエンテーリングの課題に頻繁に採用していました。また、普段の集会でも八百万神の考え方や地域と神事(お神輿など関連行事)を子どもたちに伝える行いは日常であったことを思い出しております。
最近では、東南アジアでの駐在時代にも、神道と日本人という切り口でその普遍性を感じておりました。現地の友人たちとは、日本の生活の在り方や歴史が話題になります。その会話を通じ感じることは、日本人が宗教的な道徳による基準を明確に持たない中で、教育の在り方や八百万という思想が自身の中に深く根差しているものであるということです。
「おてんとうさまが見ているよ」
この価値観は日本人というものを説明するのに最適なフレーズであります。
そんな折に昨年妻が創業した天然石流通業を通して感じた神道との関わりもあります。天然石と神道はまた非常に親和性が高く、様々な想いを石にこめる一連の過程に感じております。顧客の中には出雲の事業者もあり、原石や加工品を納めさせて頂く中で、彼らから古事記の神話を勉強する機会に恵まれました。もともと関心が高かった神話の奥深さに専らの関心を奪われているこの頃でございます。
未熟者ではございますが、神道稲門会に貢献できるよう努めてまいります。今後とも、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
1) 奉務神社紹介
赤城神社
牛込総鎮守・赤城神社は鎌倉時代の正安二年(1300)、大胡彦太郎重治が上野国十二社の一つである赤城神社を勧請し、創建したと伝えられ、大胡宮内小輔が戦国時代の弘治元年(1555)、神楽坂の現在地へ遷座したと言われている。約460年に渡り、鎮守の森を守り続けてきた。
江戸時代は「赤城大明神」と呼ばれ、神輿が江戸城内に入ることを許されたため、「日枝神社」「神田明神」と並び「江戸の三社」と言われ賑わった。
明治には、坪内逍遥が境内に「清風亭」なる寄席を併設、島村抱月と松井須磨子の「芸術座」もそこから生まれて日本中に新劇を広めていった。
戦後は境内に「私立赤城幼稚園」を開園、一時期周辺の小学校の児童数とも変わらない400~500人の幼児を預かり、この事業は神社を潤した。残念ながら近年は少子化で30人にまでその数が減少し、2008年に60年の歴史を閉じた。その頃、社殿建替えの検討が始まり、三井不動産レジデンシャルとの共同再開発計画「赤城神社再生プロジェクト」が動き出した。幼稚園跡地に集合住宅を建て、斬新な社殿を新築する計画である。その設計には、氏子でもある隈研吾氏が自ら手を挙げて関わってくださった。外光を取り込むガラス張りの社殿は、全国どこを探しても見当たらない。
2) 略歴
昭和24年、東京生まれ。早中・高から早稲田大学入学、在学中はバンド活動が中心でキングレコード専属となり、同じ会社の先輩でもある「ボニージャックス」のソ連公演に同行、卒業後はフリーからラジオ番組、CM制作会社を設立、後に「東九州コミュニティー放送」(福岡)の社長も兼ねる。
大学3年時に神職資格「正階」を取得、それ以降、会津藩生き残りの家に生まれた祖父の意志を継いで赤城神社禰宜となり、園長の母を助けるため、赤城幼稚園主事も兼ねる約4足のわらじを続ける。
平成16年に宮司就任、前述の「赤城神社再生プロジェクト」を提案。平成22年に「新国立競技場」や「村上春樹ライブラリー」の設計を手掛けた隈研吾氏による設計、監修で神社を再建。神社がグローバルレベルで変化していることを実感している。
令和6年1月29日、神道稲門会(鹿島則良会長)では、
新宿区神楽坂の赤城神社(風山栄雄宮司)において新年会を開催し、
神職・一般の会員ら30名余りが参加した。
午後5時30分、参加者は開会に先立って同神社に正式参拝した。
風山宮司より、参拝に対する歓迎と感謝の挨拶があった。
新年会は同神社内にある「あかぎカフェ」で行われ、まず渡辺嘉之会員が刀剣の演武を披露。
鹿島会長の挨拶の後、鈴木齋彦副幹事長の発声で乾杯し、開宴した。
続いて、『月刊日本』の発行人を務める南丘喜八郎先生より講演をいただいた。
南丘先生からは、我が国の政治や外交・安全保障の置かれている状況や山積する諸課題について、
ラジオ日本で報道部長や取締役論説室長を務めた経験からお話を頂戴した。
そして、恒例により各会員らが一言づつ自己紹介をし、それぞれが神社や神道との関わりや思いを語るなど、会場は活況を呈した。
今回は余興として、赤城神社関係者らでつくるジャズバンド「風みるとり」の演奏が行われ、
風山宮司や二藤泰明会員らが「Yesterday」「all of me」などジャズのスタンダードナンバーなど4曲を披露した。
最後に、早稲田大学交響楽団カルテットの演奏と応援部OBの指揮により、校歌「都の西北」を斉唱。
濱中厚生監事より中締めの挨拶があり、午後8時過ぎに散会となった。
神道稲門会では、これまでに鹿島神宮・香取神宮・川越氷川神社など全国各地への神社参拝を通じた研修会などを実施してきた。
今後も総会をはじめ様々な活動を企画することとしており、
早稲田大学出身の神職を中心に、神社・神道、日本の伝統・文化に関心の深い方などを対象として、
随時、新入会員を募集している。
お問い合わせは事務局・赤城神社(電話 03-3260-5071)まで。(二藤泰明 記)
神道稲門会(会長 鹿島神宮宮司 鹿島則良)の総会が、
記録的大雨に見舞われた令和五年六月二日、
東京神楽坂の赤城神社(1971教育風山栄雄宮司)で開催された。
午後5時半からの総会は社殿地下参集殿(ホール)で行われ、
幹事長(1977理工医学博士武田淳史)を議長に、決算、予算、新役員の発表から、
活動計画として七月には東京足立区の大鷲神社(1967政経濱中厚生宮司)にて、
正式参拝を行う旨が報告され閉会。
会場を早稲田大学『村上春樹ライブラリー』の設計を担当した特命教授、
隈研吾氏の設計・監修による赤城神社直営の「あかぎカフェ」に移し着座ビュッフェの懇親会となり、
当日の雨は途中まで出向いたものの、それ以上は進めず欠席を余儀なくさせる厳しさだった為、
元NHK会長の海老沢勝二最高顧問を含め残念ながら数人が欠席となった。
主賓早稲田大学総長室募金担当部長、鈴木宏隆さんのご挨拶に始まり、
参加者の皆様からこれからの神社や神道のあり方などの思い、
早稲田大学出身者が少ない神職の内緒の話など思いを語り合い、
東京阿佐ヶ谷神明宮宮司で副会長の斉藤博明(1979法)の中締めのあと、
校歌斉唱で二時間余りの宴が終了した。
早稲田大学出身の神職や、神道に興味・関心のある卒業生たちでつくる神道稲門会(鹿島則良会長)は、毎年総会・講演会、神社参拝研修会の開催などを通じて、会員相互の親睦を図っています。新年会などでは出席者全員がマイクを握り、神社や神道への思いなどを語り合います。
昨年、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ新しい「令和」という新しい御代を迎え、日本の歴史や伝統・文化の核となってきた神道を次の世代にどうつないでいくかを皆で考えています。
これまで神話に関する学術講演会や鹿島神宮や香取神宮、川越氷川神社への参拝研修会、國學院大学における勉強会などを開催。
当会の組織・活動の詳細は、ウェブサイトをご覧ください。随時、新入会員を募集していますので、問い合わせは副幹事長の二藤までお願いします。(二藤泰明 記)
連絡先:副幹事長 二藤泰明
メール:nitou@tokyo-jinjacho.or.jp
ウェブサイト:http://www.shintotomonkai.com/index.html
場所:アルカディア市ヶ谷4階
〒102-0073 東京都千代田区九段北4丁目2−25
TEL 03-3261-9921
※市ヶ谷駅徒歩5分
会費:1万円(当日会費7000円、神道稲門会年会費3000円)
神道稲門会の新年会が二月八日、東京・新宿区神楽坂の赤城神社(風山栄雄宮司)で開催され、会員三十四人が参加した。
午後五時、参加者は開会に先立って同宮に正式参拝。続いて同大教育学部出身の風山宮司から、同神社の由緒や取り組みなどについてお話を伺った。
風山宮司は、かつて神社には区内でも一、二を争う規模の幼稚園があり、多い時には四~五〇〇人の園児が通い、神社を支える存在であったが、少子化に伴い三十人ほどにまで園児が減ってしまったことを紹介。未来へ繋がる永続的な神社の運営を検討する中、建築家の隅研吾氏に設計デザインの監修を依頼して行った「赤城神社再生プロジェクト」について触れ、「かつて近代の神社に対して求められた役割は、政治的・社会的に地域共同体における精神的な支柱として人々の心の拠り所となることだった。しかし今の神楽坂の現況を見ると、観光を目的とした参拝が増えることで、参拝者に新しい神社に価値を見出して頂けるよう「あかぎカフェ」「あかぎ寄席」「あかぎマルシェ」など新たな取り組みを進めることで、慌ただしい日常から一息つける場所を提供している」と述べた。
新年会は同神社内にある「あかぎカフェ」で行われ、鹿島会長、群馬県渋川市・赤城神社宮司の角田登元群馬県議会議員の挨拶ののち元NHK会長の海老沢勝二最高顧問の発声で乾杯。神職以外の会員も含めて一言ずつ自己紹介し、神社や神道との関わりや思いを語るなど、会場は活況を呈した。最後に齋藤博明副会長(杉並区・神明宮宮司)により中締めが行われ、閉会となった。
同会は一昨年発会し、これまでに茨城・鹿島神宮・千葉・香取神宮、埼玉・川越氷川神社への参拝を通じた交流会、仏教稲門会との会長対談などを実施してきた。神道稲門会の会員数は現在百人を超え、今後も幹事会を開催して様々な活動を企画することとしており、随時新入会員を募集している。問い合わせは二藤泰明幹事(電話 〇三―三四〇四―六五二五、東京都神社庁)まで。
川越氷川神社に各々が午前10時45分までに集合した。参加者は23名(神職10、一般7、ゲスト6)。
午前11時に全員で拝殿に上がり、神職よりお祓いを受けて、祝詞が奏上される。最後に鹿島会長が弊会を代表して玉串を奉奠した。
次に弊会の副幹事長で川越氷川神社の宮司である山田禎久氏より氷川神社の由来とご自分の生い立ちなどの講話をいただいた。当神社は今から千五百年前に創建されたと伝えられ、祭神には二組の夫婦神と縁結びの神の五柱をいただき、夫婦円満・家庭円満の神として敬われている。山田宮司は前宮司の御父上を早くに亡くされたため、希望していた一般企業への就職を諦めて神職になられたそうです。
その後、山田宮司のご案内で普通は入れない奥にある本殿を説明付きで見学させて頂いた。
次に、隣にある大きくて素敵な氷川会館にて食事会。初めに鹿島会長の挨拶があり、齋藤副会長の乾杯で料理と懇談を楽しんだ。午後1時前に三宅幹事の中締めでお開き。
都合のある方を別に、小江戸と言われる川越のまちを散策することに。午後3時に本川越駅に集合することで三々五々散って行った。
本丸御殿、喜多院、時の鐘、古い建物の町並等々を巡り途中でお茶したりで、約束の本川越駅に15名が戻り解散した。
6月23日(土)午後4時〜赤坂の永楽俱楽部において鹿島会長以下45名(神職13、一般19、ゲスト13)の出席で開催されました。
武田幹事長の進行で鹿島会長の挨拶から始まった総会は議案1.2とも満場一致で可決されました。最後に、新幹事に角田登氏、近藤政彰氏の二名を選出したことを報告し総会は終了しました。
次に講演会に移り、青山幹事の進行で講演者のサンマリノ共和国駐日大使 マンリオ・カデロ様が紹介されました。カデロ様は大変な親日家で、駐日各国大使の代表「駐日外交団長」をしております。「駐日外交団長から見た神道の素晴らしさ」との演題でお話しをされましたが、世界のどの宗教よりも日本の神道が優れていると持論を展開されました。最後に、二、三の質疑応答があり終了しました。
懇親会は再び武田幹事長の進行で、弊会の最高顧問、海老沢勝二氏の乾杯で始まりました。歓談したり、料理を食べたり賑やかな会になりました。また、新しく入会された方々がスピーチをして大変盛り上がりました。
中締めは三宅幹事が行い、全員で校歌を斉唱し、三々五々散会しました。
2018年2月9日、午後5時より、阿佐ヶ谷 神明宮 社務所にて開催された。
17〜18時:神明宮 正式参拝、拝殿、正殿、天照大神、月夜見宮、素佐之男尊宮参拝、見学
18〜20時:懇親会
神明宮は、神道稲門会副会長 齋藤宮司のお宮で、鳥居を伊勢神宮より拝受した東京都では唯一の歴史ある神社である。参加者は、総数30名、神職13名、一般会員17名の参加であった。
今後も、会の発展を願い努力して参ります。
→神社新報の紹介記事はこちらから
國學院大學、若木タワーにて、午後4時より、國學院大學 赤井学長先生の「國學院大學の使命と将来」に関する講演が執り行われました。 この会は、神道稲門会が主催し実行した、会員対象の研修会で、第1回の開催となりました。参加者は、合計35名、鹿島会長、海老沢名誉会長をはじめ、國場衆議院議員をはじめ、神職、一般会員が出席しました。ご講演を頂きました赤井益久(あかいますひさ)先生は、昭和51年3月、早稲田大学第2文学部東洋文化専修を卒業され、現在國學院大學学長の要職につかれております。講演内容は、國學院大學の紹介、大学の使命、教育のあり方早稲田大学の思い出に関して広範にご講演を頂きました。聴衆の会員諸氏は、その大学教育への熱い情熱をお聞きすることが出来、心に残る感動の一日となりました。講演の前には、大学内の神社を正式参拝、大学博物館の見学もさせて頂き、神道稲門会一同、國學院大學の御協力いただきました関係者の方々への感謝念を持って、大学主催懇親会を若木タワー最上階で開いて頂いた事と合わせて、満足感と幸福感を会員それぞれが持ちながら帰宅の途につきました。
赤坂永楽倶楽部にて稲門前夜祭の企画として、「日本の文化と宗教」と題して、講演会が開催された。演者は、
神道稲門会会長 鹿島神宮 鹿島則良宮司(商学部卒)、また仏教稲門会幹事長 東北福祉大学学長 大谷哲夫
(文学部卒)の日本宗教界における重鎮の先輩方にお話を頂いた。司会は、神道稲門会幹事長 武田淳史(理工卒)
が担当した。講演内容は、それぞれお二人の大学時代の思い出と、将来の早稲田、日本の若者への大きく期待する
ところを、それぞれのお立場でお話を頂いた。出席者は、仏教稲門会18名、神道稲門会12名、一般会員34名であった。
会員一同、両先輩の講演から、日本文化への熱い情熱を感じ、心を打たれた一日となった。
青山、三宅、石井理事のお陰をもちまして道稲門会の旗が完成いたしました。
下記リンクは旗デザインです。ご確認ください。
詳細はこちらから
二社巡り後、東京駅にて懇親会を開催し、神職の方々と貴重な交流を深めることが出来た。
<日程>
9時45分、東京駅八重洲南口集合
12時30分、鹿島神宮到着、鹿嶋宮司(商学部卒業)による、正式参拝、直会をおこない、香取神宮に向かい、宮司の
出迎えをいただき、神宮内を案内していただいた。
15時30分、香取神宮の見学を終えて、バスにて東京駅に向かった。
18時、東京駅八重洲口に順調に到着した。
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